携帯メールは便利!でもメールだと相手の表情が読めないので誤解の原因にも

今や携帯メールは全盛期といっていいほど普及し、小学生までもが携帯電話片手に操作している姿は珍しくなくなってしまいました。

特に若者にとっては、メールはなくてはならないアイテムの1つになってしまいました。

仲良くなったらまずは「メアド交換」。

電話とは違って、相手の状況に関係なく送信できるメールは、現代のコミュニケーション手段としては確かに有効なのでしょう。

中には「メアドは知っているけど、電話番号は知らない」という人もいるようです。

電話番号を教えるのは相当親しい人に限っているのか、プライベートへの侵入を避けているのか、全く合理的で無駄のないコミュニケーションツールと言えるでしょう。

ところが、その使い方を誤れば逆効果になってしまう恐れもあるわけです。

なかには「メール依存症」のようになり、1日誰からもメールがこないと「自分はみんなから嫌われているのではないか」と不安を感じてしまう人やメールを送ってから1時間以内に返信が来ないと「無視された」と傷つき、怒る人などさまざまです。

これらは手紙が通信手段であった時代には考えられない話で、メールが手軽で便利であるからこその恐ろしさなのかもしれません。

また、メールは相手の顔を見たり、声を聞いたりすることなく、意思や情報を一方的に伝達することになります。

普通の会話であれば、もし失言しても相手を怒らせてしまった時には、相手の表情でそれとなくわかります。

すぐにその場で訂正し、関係を修復することができます。

ですが一方通行のメールでは、相手がそれを読んでどう感じたのか全くわかりません。

手紙の場合、投函するまで読み直しする時間もあるため、送信ボタン1つで不用意な文のまま送信してしまうというような失敗はないと思います。

その場の用途にあわせたベストなツール、手段を選択したいものです。

メールはあくまで会って会話することの代用品と言う感覚が必要でしょう。

メールする時間があるなら電話して直接声を聞く。

「電話で物足りなくなったときには直接会う」となってしまうのは、人の正攻法の付き合い方であることの証明だということです。

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