人との付き合いが怖い・不安と感じてきたら読みたい元気になる記事

誰かと深く付き合うと自分の自由な時間を削ることになるので、面倒臭いものです。

そんなこと言いながらも実は寂しがり屋で、本心は友達や恋人を欲しいと願っているものです。

「別に友達なんかいなくてもいい」「恋人なんて欲しくない」と強がりを言っている人は、過去に強烈な失敗をしたか、自分が心を許しても相手はそう思ってくれないのではないか、相手に傷つけられるのではないかという、恐怖がある人なのではないでしょうか。

人気者でモテモテの友達をながめては「軽いヤツ」とか「あんなに媚は売りたくないね」なんて評論家を気取っても、心の寂しさは埋められません。

欲求は満たされないのです。

「わたしにはこれがある」と言えるほどのものもなく、自分勝手に評価して相手に心を開こうとしない人に人が近づいてくるはずがありません。

そんな周囲の自分に対する態度に「まわりは冷たい人ばかりだ」と自暴自棄になっていたとしたら、今一度自分に自問してみて下さい。

その原因を作っているのは自分の考え方なのかもしれません。



相手はあなたのいいところを見ようとしてくれている

「自分は人見知りだから、好印象をもってもらえない」
「容姿に自信もないし、会話も楽しくできない」

会社の同僚や学校の仲間と今ひとつ仲良くなれない人は、こんなふうに自分に原因があると思っている人が多いのではないでしょうか。

性格や容姿から欠点をほじくり返して、自分にダメ出しているのです。

けれども、あなたが誰かと対面している時は、一つひとつの欠点で相手を判断していますか?

「好みじゃないから、話したくない」
「気が利かないので、付き合いたくない」
などと思わないでしょう。

付き合ってみたり、話してみたりして段々と感じてきたりすることもありますが、細かい欠点より相手のいいところをなんとか見つけたいと思いませんか。

相手もあなたのいいところ、良さを見つけようとしているはずです。

でも「今はアラ探しばかりしている」かもしれません。

それは最初からそうではなかったはずですよ。

自分の欠点を気にするあまり、それ以外のたくさんあるあなたの長所を見せられずにいたら、たった一つか二つ、(もしかしたら)自分だけが勝手に思い込んでいる短所が、あなたの長所を超越した存在になりあなたのすべてを表現してしまっていることはとても残念なことです。

あなたが「何の役にも立っていない人」でイメージされていると勘違いし、二度と会わなくなってしまうこと、それは「運命」でも「縁」でもありません。

あなたの気持ちに自信がないだけなのです。

長所は裏を返せば短所にもなります。

欠点は見方を変えればその人の魅力なのです。

それを生かすも殺すも、あなたの気持ち次第なのです。

「そうだ!!! しっかりしなきゃ」
そうです、すばらしい!

「わかっちゃいるけど動けない・・・」という時もありますから、自信を持ってくださいね。




友達・恋人ができないのは「役に立つ」人間ではないから?

親しい友人や恋人ができないことに悩んでいる人がいます。

本人にとっては今始まったことではありません。

「誰も私のことなんか ・・・」という悩みの解決方法といえば、「自分を変える方法」「理想的な自分の作り方」など、人間関係で悩む人々にとっては、共通かつ共有できる永遠のテーマになっているのです。

人間関係で悩む人は、自分自身の努力で解決しなくてはならないことなど百も承知なのです。

ところが、今悩んでいるのですから解決できていないわけです。

どれくらいの人が、どんな方法で、どれくらいの時間をかけて「自分を変えて」「理想的な自分」になったのかを知りたいのです。

そこで誰かの「役に立つ」自分になりたい・・・という1つの結論に達します。

人の変化や自覚は千差万別です。

あなたにとって「役に立つ」自分を、自覚できるということはどんな人になれたときなのでしょうか?

もしかしたらとてもレベルが高くて難しいのではありませんか?

そうでなければ、なんとなく「役に立つ」感じの抽象的ではっきりしない感じではないのでしょうか?

形はどうあれ、自覚出来ればいいのですよね。

ところが、書店の店頭に並んでいる自己啓発の本に書いてあることを実行しても気休め程度の成果も実感も得られない事のほうが多いのです。

「目からウロコが落ちました」「ターニングポイントはこれだ」といったことに出くわすことはどれくらいあるでしょうか。

人が「役に立つ」ことを自覚できるまでには地道にかなりの時間をかけて、人生経験を積んでそれぞれの人が努力した結晶というべきものなのです。

あなたから見て、うらやましいほどの「役に立つ」ことを体得した人からして見ると「そんなに簡単ではないぞ」と言われてしまうかもしれません。

ですが、努力なくして成果なしであることもわかっているのです。

自慢気に講釈されても「わたしはあなたじゃない」のです。

あなたの「役に立つ」はそんなに難しいことではなく、「えっ、こんなもの」と感じるほどのごく当たり前のことなのです。

だって、考えてみてください。

最初からものすごく「役に立つ」ことのできる人などいるわけがありません。




誰にでも受け入れられる素敵な一面を知らん振り

「そんなことできるならとっくにやってるわ!」と言い返したい気持ちは痛いほどわかります。

「あなたは今、成功しているからそんな簡単に言えるんだよ」と思っていると思います。

人間関係で悩んでいる人は「この苦しみ」を解消したいので、自分自身の長所の分析に時間をかけていられない心境なのです。

「ダメなところ」「嫌いなところ」ばかりに目がいき悲観してしまい、他の人からのアドバイスに耳を傾ける冷静さを欠いてしまっているのです。

例えば「お前、パソコンのこと詳しいじゃないか!」とか「絵書くのうまいじゃないの。わたしにはマネできないな・・・」と褒められても「そんなこと出来たってしょうがない」と否定してしまう。

もったいない話だと思いませんか!

あなたがあこがれている人や、羨ましいと思っている性格や理想的な人間像というのは、一人ひとりが今までに時間を掛けて身に付けてきたものの上に成り立っているのです。

今あなたの身についているもの、それは人間関係に悩んでいる気持ちを直接取り除いてはくれないかもしれません。

でもそれは使い方によっては武器になるはずです。

考え方を変えてくれる重要なアイテムになるのです。

例えば明日、大事な試験があるにもかかわらず何も覚えていない人は、一夜漬けで勉強している最中に、比較的共通して思うことがあります。

それは「驚異的な記憶力が欲しい」という、最も効果的なその場しのぎとしては結構厄介な願望です。

パソコンに詳しかろうが、絵がうまかろうが関係ありません。

とても都合のいい話ですよね。

「もっと前から勉強しておけばよかった」と後悔しても始まりません。

なぜならそれが現実なのですから・・・仕方ありません。

「失敗だ」「大変だ」「困った困った」といくら後悔しても、反省しても「何で明日が試験なんだよ!」とか「これは私に対しての意地悪だ」と、他人のせいにしたって解決しないのですから、そんなことに注目するのはやめましょう。

もうあなたなら出来るはずです。

自分のイヤなところを見ないだけです。



人間関係に恵まれるには「きっといい人だ」と思い続ける

 最近は通り魔や変質者による事件が報道され、街中を安心して歩くことが出来ないイヤな時代になってしまいました。

昔の「人を見たら泥棒と思え」という戒めも可愛く思えてしまいますよね。

油断するなとか緊張感をもてと、自己防衛の意味からすればとても大切なことです。

でも常に人を疑ってかかっているとそれは顔に出てしまいます。

ここにも長所と短所の関係に似たものがあるのです。

疑って不信感を持っていると相手も同じ感情を持ってしまいます。

これではいい人間関係は生まれてきません。

まさか「わたしの不信感を消してくれる振る舞いをして下さい」なんてお互いに思っていても言える訳がありません。

ではどうしたらいいのでしょう。

きっともうおわかりですよね。

そう、あなたが「きっとこの人はいい人だ」と思いながら接することです。

人は相手を悪く考え始めると、自分の息の根も止めかねないくらいにその方向に突き進んでしまいます。

マイナスイメージをどんどん増殖させてしまいます。

そして些細なことからどんな人間にでも変身してしまいます。

「あいつが悪い」と相手のせいにするのです。

こんな末期的な人間関係には誰でもなってしまう可能性を持っているのです。

とても怖いことですが予防と修復は簡単です。

「病は気から」と言われていますが、まさにその通りなのです。

「この人はいい人だ」と思い続けることです。




自分の心を開く勇気をもつ

「いい人と思って接する」なんて、おひとよしでバカにされそうですか?

人はいい人と接することにより自然に心を開きます。

もっとあなたのことが知りたい。
もっと私のことを知ってもらいたい。

自然とこんな気持ちの時は、相手の反応を気にしている自分はどこにもいません。

不信感や警戒心もなく、自分から積極的に心を全開にしてしまうでしょう。

ところが、同じ人間を相手にしているのに窮屈な人間関係で悩む人には「心を開く」ことがどれ程大きな負担になっているか計り知れません。

当たり前のように出来なくなってしまい、通常の何倍もの勇気を振り絞らないと行動できないものとなってしまっているのです。

ただでさえ勇気を出して行動することが少なくなってしまった人が、窮地に立たされた時、普段の数倍もの勇気など出るわけがない! そんなふうに思っていませんか?

火事場の馬鹿力ということが頻繁にあったら体がもちませんよね(笑)

わたしもそうですが、出来ない人間に限って出来ないことを強いられることが多いものです。

「普段からやっておけば良かったのに」これに尽きるのです。

普段から心を開くことはほんの少しの勇気で済むのです。

なんだかんだと理屈抜きで誰にでも心を開いておきましょう。



心を開いて語ることは自分勝手にふるまうのとは違う

人間の行動や考え方は十人十色ですし、時と場合によっては矛盾していることもあるわけです。

表現やとらえ方によっては逆作用してしまうこともあります。

誰もが失敗したくてしている訳ではありません。

ところが慣れていない人が「そんなふうにできたらなあ~」と思って、無理に明るくふるまっても、やっぱり普段の自分ではないのでしっくりきません。

演技して「自分をつくって」失敗した人は「やっぱり私はダメだ」と思い込んでしまう恐れがあります。

心を開いて隠そうとせず、言いたいことをズバズバ言っている人を見ると自分勝手のようですが実は少し違います。

「自分で正しいと思ったこと」をすぐ言葉にしてしまいますから、人のことを考え過ぎて言葉を選ぶ人からすると魅力的な人間性かもしれません。

心を許して気さくにふるまうことと、相手の立場や場の状況を無視して傍若無人にふるまうことは全く別物なのです。

自分の言葉に責任をもってズバズバ言ってますから、このことが原因で傷ついても、裏切られても自分にダメ出しはしないでしょう。

逆にそれが人を傷つけていたとしても、よぽどの事でもない限り修正はしません。

心を開くということは、本音で接しているのですから失敗していたとしても後悔はしません。

変えることは今までの人生とこれからの自分を否定することにもなりかねません。

これだけのリスクを承知の上で行動しているのです。

あなたがどうしても出来ないのに、どうしてもそうしてみたいのなら、ここはひとつ演技に徹してみてください。

きっかけさえ見つけられれば、自分のキャラクターになります。

自分に自信が無い時には「あれ、今日のお前・・・なんか感じが違うな」なんて他人からの評判が一番のきっかけになるはずです。

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